EPILOGUE
その後、紗一は病院から連絡を受けた義父に迎えられ、一時帰宅となった。
帰って待ち構えていたのはもちろん、その義父からの暴力だった。
義母の麻莉香は部屋の隅に力なく座って動かない。
先程までそちらが殴られていたのだろう。
ハルは「絶対に助ける」とは言ったものの、こんなのを一体どうするつもりなんだ。
嘉乃たちは「一緒にどうにかしよう」と言ったものの、それも一体どうやってどうするつもりなんだ。
紗一は義父に髪を掴まれながらそう思っていた。
その日義父は、紗一が病院に運ばれた事で色々な事がバレるのを恐れ、気が立っていた。
片手には義父が何かの大会で貰ったらしい硝子のトロフィーが握られており、それを振り上げる。
いつもの娯楽半分で暴力を振るってくる時とは違い、随分と正気を失っているように見えた。
このまま自分を殴り殺すつもりなのだろうか。
あれで殴られたらきっと、今だかつてないほどに痛いだろうな。
そう思った時、家のインターホンが鳴る。
一瞬義父の手が止まった。
義父に怒鳴られた麻莉香が玄関へ向かった。
ドアを開けた先に居たのは、警察官だった。
どうやら”不正受給“の容疑の捜査で来たらしい。
おそらく事実を知る誰かが通報したのだろう。
けれど、結局は警察に逮捕された所で彼らもいずれ、両親を殺した人間に根回しされる。
自分も義父母もどうせこの場所に戻って来る事になるに決まっている。
義父もその汚染されきった縮図はよく理解しており、”警察“と聞いて薄ら笑いを浮かべ紗一を見た。
やっぱり何も変わらない。
そう思った時だった。
リビングの窓ガラスが割られた。
どうやら何者かに外から何かを投げ込まれたようだ。
それは見慣れた教室の椅子だった。
そして、割れた窓から入って来た人物は、紛れもなく紗一の弟、ハルだった。
紗一は何の意図でハルがそんな所から登場したのかわからなかった。
そしてハルは「一緒に逃げるぞ」と紗一に向かい手を差し出した。
何も変わらないと、そう思っていた紗一だったが、気付けばハルの手を取っていた。
その時のハルが、もしかしたら父親か母親かに見えたのかもしれない。
ハルは笑い、そのまま紗一の手を引き外へ走った。
もちろん義父はそれを追おうとするが、それを止めたのは家に上がって来た先程の警察官だった。
そこに麻莉香の姿は無い。
義父は二人を追えと警察官に命令し、妻の麻莉香を探した。
しかしその警察官は動かなかった。
義父が不審に思っていると、その警察官は「麻莉香さんは保護施設に送りましたよ」と答え、割れた窓から颯爽と出て行ったのだった。
事実その頃、麻莉香は嘉乃の車に乗っていた。
先程玄関を開けた時に、無理矢理連れ出されていたのだ。
この警察官に。
もとい、警察官に扮した若林に。
義父がどういう事かと唖然とその警察官の背中を見てるうちに、部屋には数人の本物の警察官が入って来た。
そして、義父は”傷害罪“として取り押さえられた。
一般人や知り合いだと逆に警戒される。
しかし本物の警察官を突入させて彼らに紗一と麻莉香を保護されると、また地獄の繰り返しである。
若林たちは何としてでも、義父を取り押さえる前に紗一と麻莉香を外に連れ出さなければならなかったのだ。
と言っても、心と有紗を殺した男からの不正受給を罪に問おうとも、その男が警察と手を組んでるならそれを理由に拘置させるのは到底無理な話だった。
なので通報内容は”不正受給“でもなく”紗一への虐待“でもなく、”妻への暴行“とした。
それを通報し、紗一の家まで警察官を誘導しタイミングを見て突入させたのは源次朗の仕事だ。
紗一と麻莉香と義父、3人を引き離すにはこうするしか無かったのだという。
嘉乃は駆け付けて来た警察に麻莉香の顔の痣や怪我を見せ、今し方家から逃げて来たていを装い、「知り合いだから落ち着くまで少しこちらで預かります」と、車内に連れ込み今起こっている事を麻莉香に説明していたのだった。
今回の計画を立てたのはハル本人だった。
昨日、紗一を病院に迎えに来た義父の様子を見て野生の勘が働いたのか、嫌な予感がするから明日すぐにでも助けると言って聞かなかったのだ。
ハルは紗一の手を引きひたすら走った。
紗一の救出は、下手に大人がやるよりも未成年であるハルがやる方が安全だったのだ。
誰かが干渉すればその大人が罪に問われる。ハルは嘉乃たちに「とりあえず遠くに行っておけ」と言われていた。
紗一はスリッパのままだし、これからどうするかなんて決まっていない。
でもきっと、何とかなるとハルは思っていた。
ハルは前日、紗一が自宅に引き取られたあと、嘉乃たちにこれまでとこれからの話しを聞かされた。
父親である心の事。母親である有紗の事。
両親は、若林たちにとってかけがえのない存在だったらしい。
そして、やっと両親を殺した相手との裁判が決まったのだと、嘉乃が言っていた。
長い年月を経て、やっと光が見えたのだと。
証人は東遼太朗に頼んでいるらしい。
そして、事故当時を覚えている紗一にも法廷に出てもらうつもりなのだという。そして、その義母・麻莉香にも。
紗一はハルに手を引かれながらその話を聞かされた。
その時に、「もう少しだから頑張れ」と言われたが、紗一は何も言えなかった。
しかし引かれた手を振り解こうとはしなかったので、ハルはそれをこちら側を選んでくれたんだろうと解釈した。
その後、ハルと紗一は二人で生活していく事となる。
バイト先の先輩であり虎校空手部のOBである神宮歩の助けにより、客から貰った使っていない別荘を貸してもらう事となったのだ。幸い虎校にも通える場所だった。
どうやら顧問の蒼芭がそれを当日手配してくれていたようだ。
そして紗一は、この先もハルの兄として生きて行く事を決意し、心臓手術の日も無事に決まった。
義母の麻莉香はその後、警察の事情聴取を経て、とりあえず嘉乃の元に保護された。義父は実刑判決を受ける流れとなった。
本当は麻莉香も虐待を放置したりと色々と償わなければいけない事はあるのだが、それは紗一自ら示談で良いという事になった。
きっと心と有紗を殺した犯人との裁判が終われば、麻莉香も不正受給云々で逮捕されてしまうのだ。
せめて義父や自分のいない場所でしばらく羽を伸ばして欲しかったのだという。
麻莉香がしばらく警察署で拘置されてる間、紗一とハルは二人で彼女に面会したという。
その際、二人は麻莉香に「自宅の物置の右上」に、とある物が置いてあると教えられる。
後にその場所に二人で向かうと、厳重に封をされた箱があった。
ハルは「特級呪物だ」と怯え、開けるのを嫌がったが、紗一はそれを無視して雑に開け始めた。
その中にあった物。
それは、両親の母校の食堂で楽しそうに談笑してる心・有紗・若林・麻莉香・嘉乃の若い頃の写真。
心と有紗が赤子の紗一とハルを愛しげに見つめている写真。
心と若林と源次朗、そして小さい紗一とハルが鷲連館道場で道着を着て跪座して並んでいる写真。
空手の世界大会で撮ったのであろう、少しだけ成長した紗一とハルが、心と若林に抱っこされている写真。
そして、両親である心と有紗がこころを交わしたであろう、何十枚にもなる手紙。
それは紗一とハルが本当に血の繋がった兄弟だという事が痛いほどにわかるような、思い出の数々だった。
心と有紗が事故で亡くなった時の遺品整理を行ったのは麻莉香だったのだ。
もちろん、当時は有紗の事は憎い相手以外の何でもなかったので大体の物は燃やして廃棄したそうだ。
しかしこの箱だけは、何故か捨てられずにずっとこの場所に保管されていたという。
ハルは両親の写真を見ても、一緒に過ごした時を思い出す事はできなかった。
けれど、せめてこれからもこの思い出と自分自身の歴史を守りたいと思った。
この日、ハルは世界一の空手選手になる事が自身の夢となった。
「この写真と一緒に一番高い表彰台に登りたい」
彼は隣の兄に向かって父親にそっくりな笑顔でそう言ったのだった。
それをハル自身が実現するのは……まだ少し先の話である。
fin.
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